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== 概説 ==
[[朝鮮半島]]における最初の[[人類]]の痕跡は[[平壌直轄市]]
朝鮮半島の[[旧石器時代]]で最も古い遺跡の1つは、[[京畿道]][[漣川郡]]の[[全谷里遺跡]]である<ref name="早乙女2000p7">[[#早乙女 2000|早乙女 2000]], p. 7</ref>。この遺跡から発見された石器が、典型的な[[アシュール文化]]のハンドアックス(手斧)の特徴を持っていることが世界的に注目を集め、その年代は12万5千年前-3万5000年前まで幅広い仮説が提出されている<ref name="早乙女2000p7">[[#早乙女 2000|早乙女 2000]], p. 7</ref><ref name="朝鮮史研究入門p14">[[#朝鮮史研究入門 2011|朝鮮史研究入門 2011]], p. 14</ref>。
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この頃に朝鮮半島で初めて[[土器]]が登場する<ref name="早乙女2000p17"/>。最古の土器の1つは[[済州島]]の[[高山里遺跡]]で発見された平底鉢と土器片であり、出土層の上層から[[鬼界カルデラ|鬼界アカホヤ火山灰]](6300年前の鬼界カルデラの噴火火山灰)が発見されていることから、その年代はおおよそ6300年前以前と見られる<ref name="早乙女2000p18">[[#早乙女 2000|早乙女 2000]], p. 18</ref>。朝鮮半島における[[新石器時代]]は未だ明確な姿が描かれておらず、旧石器時代から新石器時代への移行について詳細な説明は与えられていない<ref name="朝鮮史研究入門p19">[[#朝鮮史研究入門 2011|朝鮮史研究入門 2011]], p. 19</ref>。『朝鮮史研究入門』においては土器および打製[[石鏃]]の出現をもって画期とし、[[青銅器時代]]の土器である[[無文土器]]の出現までの時間的範囲を便宜上新石器時代として設定している<ref name="朝鮮史研究入門p19"/>。新石器時代の土器は幾何学模様が線で描かれ、北[[ヨーロッパ]]から[[シベリア]]、[[北アメリカ]]にかけて分布する類型の土器と同系統と考えられる。ドイツ語でこの種の土器を「Kamm Keramik」とよばれると呼ぶことから、1930年代にその和訳である「[[櫛目文土器]]」と呼ばれるようになった<ref name="朝鮮史研究入門p19"/><ref name="早乙女2000pp20_21">[[#早乙女 2000|早乙女 2000]], pp. 20-21</ref>。ただし現在でも多様な名称が用いられ、また粘土紐や押印文による装飾が行われたものも存在する<ref name="朝鮮史研究入門p19"/>。
紀元前1000年頃から[[無文土器]]が出現し、これによって櫛目文土器時代と区別されている<ref name="早乙女2000p45">[[#早乙女 2000|早乙女 2000]], p. 45</ref>。この時代は同時に[[青銅器]]の使用、[[磨製石器]]の登場、[[稲作]]の開始によって特徴づけられ、無文土器時代と呼ばれている<ref name="早乙女2000p45"/>。無文土器は紀元前300年頃を境にして大きく前期と後期に分けられている。無文土器時代には[[中国東北部]]([[満
朝鮮半島南部では日本列島と密接な人的交流があったものと見られ、[[勒島]]から弥生時代中期(紀元前100年)と推定される73基に及ぶ墓が見つかり、[[甕棺]]墓や北部九州の[[弥生土器]]の出土、骨格の特徴や抜歯風習などから西北九州と密接な関係を示唆している<ref name="ReferenceA">小片丘彦「朝鮮半島出土古人骨の時代的特徴」『鹿児島大学歯学部紀要』 (18), 1-8, 1998</ref>。
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朝鮮半島において文献に登場する最初の国家は伝説的な[[箕子朝鮮]]であり、その後[[衛氏朝鮮]]が成立したと伝わる。衛氏朝鮮は[[紀元前195年|前195年]]頃に[[燕 (春秋)|燕]]人の[[衛満]]が[[箕子朝鮮]]の王・[[準王]]を追い出して建国したという<ref>『[[三国志]]』</ref>。衛氏朝鮮は三代[[衛右渠]]の時、漢の武帝に滅ぼされ、領地は[[楽浪郡]]・[[真番郡]]・[[臨屯郡]]・[[玄菟郡]]の[[漢四郡]]として400年間支配されたが、移転や廃止により最後は楽浪郡のみが残った<ref name="朝鮮史研究入門p45">[[#朝鮮史研究入門 2011|朝鮮史研究入門 2011]], p. 45</ref>。
[[4世紀]]中頃に、
高句麗は4世紀の[[好太王|広開土王]]の代に、南北に領土を拡大し最盛期を迎える。その領土は満
百済は漢城(漢山城、現:[[ソウル特別市|ソウル]][[松坡区]])を都としていたが、475年、高句麗の攻撃により落城し、[[熊津]]に遷都した。また、高句麗とその属国である新羅に対抗するため、倭国に人質を出して和通し、儒教や仏教を倭国へ伝えた。南端部には諸小国の雑居する[[伽耶]](加羅、[[任那]])があり、その勢力争いには[[倭国]]も影響を及ぼした<ref name=yoshida>{{Cite book|和書|author=吉田孝|authorlink=吉田孝|year=1997|month=6|title=日本の誕生|series=岩波新書|publisher=岩波書店|isbn=4-00-430510-1}} pp.74-78.</ref>(旧説では「支配下」にあったとする<ref>『任那興亡史』31P-200P</ref>)。[[釜山市]]近郊の[[金海礼安里古墳]]群は[[4世紀]]から[[7世紀]]に築かれた[[伽耶人]]の庶民層の集団墓地であるが、北部九州や山口地方の[[弥生人]]や[[古墳人]]に近いという結果が得られた<ref name="ReferenceA"/>。
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10世紀に新羅は地方勢力が自立して後高句麗・後百済を立てて後三国時代を迎えるが、やがて新しく興って後高句麗を滅ぼした高麗が勢力を持ち、新羅を滅ぼして統一を成し遂げ、鴨緑江南岸と豆満江付近まで勢力を広げた。
高麗は[[13世紀]]に[[モンゴル帝国]]([[元 (王朝)|元]])の侵攻を受け支配下に入った。元の衰亡とともに失った独立と北方領土を回復したが、[[14世紀]]に元が北へ逃げると親[[明]]を掲げる[[女真族]]ともいわれる
朝鮮は[[15世紀]]4代国王、[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]の時、黄金期を迎える。世宗は[[訓民正音]]([[ハングル]]:朝鮮語の文字)の制定、史書の編纂、儒学の振興などのほか、農業の奨励、対外的には倭館の設置、[[女真]]との戦争などで領土を拡張した。科学の振興も図られた。[[蔣英実]]などを重用し、天文観測機構の設置や、機器([[渾天儀]]、[[簡儀]])の製作、時間を表す[[仰釜日晷]]、[[自撃漏]]などを製作するなど、画期的な成果を挙げ、朝鮮の基礎を固めた。
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[[16世紀]]に[[豊臣秀吉]]の侵攻を受け一時国土の大半を征服されるが、明の救援と[[李舜臣]]の活躍と秀吉の死去により国土を回復した。[[17世紀]]には[[女真]]族が建てた[[清]]の侵攻を受け、衆寡敵せず[[大清皇帝功徳碑]]を築くなどの屈辱的な条件で降伏して冊封体制・羈縻支配下に入った。
[[1776年]]に22代国王の[[正祖]]が即位する。正祖は即位初期には[[洪国栄]]などを重用し、当時、弱まり続けていた王権を掌握していく。当時の政権は[[老論]]という一派が大きな権力を持っていて王権を上回るほどの実勢を握っていた。正祖は王権を強化するため、政治の改革に着手し、[[蕩平策]]を標榜する。蕩平策は基本的に政治の人事がどこの政派にも偏らず、能力ある人物を登用することで、その裏には当時与党で、王権よりも強い政権をもっていた老論をけん制する狙いがあった。蕩平策を通して、疎外されていた政派の者や中人、庶子とその子孫さえ抜擢し登用した。蕩平策は老論をけん制する傍ら、政治的なバランスも崩れておらず、[[正祖]]の治世を一貫する政策だった。正祖の時期に、[[水原市|水原]][[華城 (世界遺産)|華城]](世界遺産)の設計や建築に関わった[[丁若鏞]]や[[朴斉家]]、[[洪大容]]、[[柳得恭]]などが活躍した。正祖は農業の整備や商業の振興、[[北学派]]や[[実学派]]を重用し、いわゆる朝鮮の復興期を導いたが、[[1800年]]、正祖の死去と共に、改革の成果は消えていった。<ref>『朝鮮史』武田幸男編184頁</ref>▼
▲重用し、当時、弱まり続けていた王権を掌握していく。当時の政権は[[老論]]という一派が大きな権力を持っていて王権を上回るほどの実勢を握っていた。正祖は王権を強化するため、政治の改革に着手し、[[蕩平策]]を標榜する。蕩平策は基本的に政治の人事がどこの政派にも偏らず、能力ある人物を登用することで、その裏には当時与党で、王権よりも強い政権をもっていた老論をけん制する狙いがあった。蕩平策を通して、疎外されていた政派の者や中人、庶子とその子孫さえ抜擢し登用した。蕩平策は老論をけん制する傍ら、政治的なバランスも崩れておらず、[[正祖]]の治世を一貫する政策だった。正祖の時期に、[[水原市|水原]][[華城 (世界遺産)|華城]](世界遺産)の設計や建築に関わった[[丁若鏞]]や[[朴斉家]]、[[洪大容]]、[[柳得恭]]などが活躍した。正祖は農業の整備や商業の振興、[[北学派]]や[[実学派]]を重用し、いわゆる朝鮮の復興期を導いたが、[[1800年]]、正祖の死去と共に、改革の成果は消えていった。<ref>『朝鮮史』武田幸男編184頁</ref>
[[19世紀]]半ばから欧米列強が来訪、[[開国#朝鮮|開国]]を要求、そして[[大日本帝国|日本]]、[[清]]、[[ロシア帝国|ロシア]]が朝鮮半島の権益をめぐって対立、[[日清戦争]]後に結ばれた[[下関条約]]締結によって長きにわたる冊封体制から離脱し、[[1897年]]に[[大韓帝国]](朝鮮から国号を変更)として独立するも、[[伊藤博文]]を[[安重根]]が暗殺し、[[1910年]]に全土が[[大日本帝国|日本]]に[[韓国併合|併合]]された。[[第二次世界大戦]]での日本の敗戦に伴い、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]によって朝鮮半島のほぼ中央を走る[[緯度|北緯]][[38度線]]を境に南北に[[分割統治]]され、その後に各々独立、南に[[大韓民国|韓国]]、これに反抗する済州島は[[済州島四・三事件]]で鎮圧がなされ、北には[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が建国された。[[1950年]]に北側から[[赤化統一]]を目指して[[朝鮮戦争]]が起こるが、統一はならず現在も南北に2つの国家が並立しており、[[朝鮮統一問題|南北統一]]を如何に果たすかが両国間の課題となっている。
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== 先史時代・古朝鮮時代 ==
[[
=== 先史時代 ===
[[考古学]]的な実証ある事項はここに記す。また、考古学的知見は新事実の発見や分析の発展で変遷することがある。
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=== 古朝鮮時代 ===
[[
[[
考古学的考証のない事項はここに記す。
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;[[檀君朝鮮]]([[檀君]]神話)
:[[檀君]]は[[神話]]上の人物。『[[三国遺事]]』に、『[[魏書]]』からの引用(ただし、現存する『魏書』にはそのような記述は存在しない)として、[[中国]]の[[堯]]帝時代に[[白頭山]]に降臨した天神の子・桓雄と[[クマ|熊]]女の間に生まれた檀君が[[平壌直轄市|平壌城]]
;[[箕子朝鮮]](きしちょうせん
;[[辰国]]
:{{節スタブ}}
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== 古代の朝鮮半島 ==
=== 衛氏朝鮮・漢四郡・原三国時代 ===
[[
[[朝鮮半島]]では、中国から朝鮮半島を経由して日本列島にいたる交易路ぞいに、華僑商人の寄港地が都市へと成長していく現象がみられた<ref>岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008.ISBN 978-4-480-42449-5, pp.38-42</ref>。[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]、[[燕 (戦国)|燕]]は「朝鮮」(朝鮮半島北部)、真番(朝鮮半島南部)を「略属」させ、要地に砦を築いて[[官吏]]を駐在させ、中国商人の権益を保護していた<ref>岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008.ISBN 978-4-480-42449-5, p.22</ref>。[[秦]]代は[[遼東郡]]の保護下にあった<ref>岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008.ISBN 978-4-480-42449-5, p.23</ref>。秦末[[漢]]初の混乱の中、復活した燕国は官吏と駐屯軍を中部・南部([[清川江]]以南)から撤退させた。紀元前197年、[[漢朝]]は燕国を大幅に縮小して遼東郡を直轄化したが、その際、燕人の[[衛満]]が[[清川江]]を南にこえ、仲間ともに中国人・元住民の連合政権を樹立した。漢の遼東大守は皇帝の裁可をえてこの政権を承認し、[[衛氏朝鮮]]が成立した<ref>岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008.ISBN 978-4-480-42449-5, p.25-27</ref>。
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*[[東沃沮|北沃沮]]([[咸鏡北道]])
*[[東沃沮]]([[咸鏡南道]])
*[[濊]](ワイ)([[江原
*[[馬韓]](京畿道・[[忠清北道]]・[[忠清南道]]・[[全羅北道]]・[[全羅南道]]。ただし、京畿道・忠清北道・忠清南道を含まないとする説もある。)
*[[辰韓]]([[慶尚北道]]・[[慶尚南道]])
** [[秦]]からの[[移民]]とする説もある。古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、[[始皇帝|秦の始皇帝]]の労役から逃亡してきた秦人の国という{{refnest|group="注釈"|name="Qin"|『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書辰韓伝「辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。(辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している)」によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、[[始皇帝|秦の始皇帝]]の労役から逃亡してきた秦人の国という。また、『[[北史]]』新羅伝には、「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。(新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている)」との記述がある<ref>[http://zh.wikisource.org/w/index.php?title=%E5%8C%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7094&variant=zh-cn#.E6.96.B0.E7.BE.85 『北史』新羅伝]</ref>。[[水谷千秋]]は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に[[中国]]からの[[移民]]と考えて間違いない、と述べている<ref>『謎の渡来人秦氏』2009年、文春新書 36頁
* [[弁韓]](全羅南道・慶尚南道。ただし、全羅南道を含まないとする説もある。)
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=== 三国時代 ===
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[[
[[
{{main|三国時代 (朝鮮半島)}}
*433年 [[羅済同盟]]
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*668年 唐が高句麗を滅ぼす
*670年 [[唐・新羅戦争]]
[[高句麗]]・[[百済]]・[[新羅]]の三国が並立。[[唐]]は[[660年]]に百済を滅ぼし、[[668年]]には高句麗を滅ぼした。唐は高句麗の故地に[[安東都護府]]を設置、百済の故地に[[熊津都督府]]を設置する。さらに、新羅を[[鶏林州都督府
* [[伽耶|伽耶諸国]]( - [[562年]])
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== 中世の朝鮮半島 ==
[[
[[
=== 高麗 ===
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** [[1274年]]・[[1281年]] [[忠烈王]]の要請に応えた元の協力を得ての2度の日本侵攻([[元寇]][[文永の役]]、[[弘安の役]])への侵略出兵により、逆に甚大な被害を受ける<ref name="kourai">『高麗史』一百四 列伝 巻十七 [[金方慶]]伝「十五年、帝欲征日本、詔方慶與茶丘、監造戰艦。造船若依蠻様、則工費多、将不及期。..(中略)..用本國船様督造。」</ref><ref name="gen">『元史』 卷十二 本紀第十二 世祖九 [[至元 (元世祖)|至元]]十九年七月壬戌([[1282年]]8月9日)の条 に「高麗国王請、自造船百五十艘、助征日本。」</ref>。
** [[1289年]] 元の[[征東行省]]が常設され、元朝の領土化。
** [[1294年]] 元の直轄領となっていた[[済州島]]が返還される。
** [[1350年]] この頃より[[倭寇]]に悩まされるようになる(「前期倭寇」〜15世紀前半)。
** [[1351年]] [[恭愍王]]即位(〜1374年)。
177 ⟶ 176行目:
** [[1365年]] [[辛ドン|{{lang|ko|辛旽}}]]による改革政治(〜71)。
** [[1374年]] 恭愍王が暗殺される。[[禑王|{{lang|ko|禑王}}]]が即位(〜88)。
** [[1388年]] 親明派の武将[[李成桂]]がクーデターを起こし実権者になる([[
** [[1391年]] [[科田法]]の制定。
** [[1392年]] [[鄭夢周]]が暗殺される。
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== 近世の朝鮮半島 ==
[[ファイル:Seoul Gyeongbokgung Throne.jpg|thumb
[[
[[ファイル:Yeongeunmun Gate.JPG|thumb
[[ファイル:Interior of Fort McKee., 06-1871 - NARA - 559259.tif|thumb
[[ファイル:Imo Incident Flight of Japanese Legation from Korea by Utagawa Kunimatsu 1882.png|thumb
=== 李氏朝鮮 ===
{{main|李氏朝鮮}}
**[[1392年]] [[李成桂]]([[女真族]]ともいわれる
** [[1393年]] 李成桂が[[権知朝鮮国事]]に冊され、国号が朝鮮となる。明の皇帝から、新たな国号を「[[朝鮮]]」と「和寧」の2案から選んでもらうという形式的手順を踏んだ。
** [[1398年]] [[第一次王子の乱]]
277 ⟶ 270行目:
** [[1876年]] 明治新政府と[[日朝修好条規]]を結ぶ。
** [[1882年]] [[米朝修好通商条約]]。大院君扇動による壬午軍乱([[壬午事変]])が失敗し、清政府と[[中朝商民水陸貿易章程]]を締結。
** [[1883年]]゜米朝の友好関係構築のためアメリカへ初の朝鮮政府訪問団を送り、朝鮮には初のアメリカ公使[[ルーシャス・ハーウッド・フット|
** [[1884年]] [[甲申政変]](甲申事変)、[[開化派]]のクーデターは失敗に終わり、[[事大派]]の勝利となる。
** [[1885年]] [[巨文島|巨文島事件]]。[[露朝密約事件]](第一次)。
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== 近代 ==
[[ファイル:Yi Un & Yi Bangja 1923.jpg|thumb
[[ファイル:Nikolayevsk Incident-1.jpg|thumb
[[ファイル:Sohn Kee-chung 1936b.jpg|thumb
[[ファイル:COMFORT Ad.gif|thumb
=== 大韓帝国 ===
{{main|大韓帝国}}
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** [[1906年]] [[韓国統監府]]設置。
** [[1907年]] [[国債報償運動]]。[[ハーグ密使事件]]。[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]が退位し[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]が即位。[[第三次日韓協約]]。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。
** [[1909年]] 韓国統監府初代統監[[伊藤博文]]が[[ハルビン]]駅にて[[安重根]]により[[伊藤博文暗殺事件|暗殺]]される。朝鮮と清の国境が定まる([[間島#間島協約|間島協約]])。
=== 日本統治時代 ===
309 ⟶ 302行目:
** 1920年 [[シベリア]]東部の[[ニコラエフスク]]で[[共産革命]]が激化し、[[赤軍パルチザン]]が日露住民を虐殺する[[尼港事件]]に[[抗日パルチザン|朝鮮パルチザン]]が協力する。
** 1920年 [[梨本宮]][[李方子|方子女王]]が[[李王家]]に嫁ぐ。
** 1920年
** 1929年 [[光州学生事件]]。[[朝鮮博覧会]]。
** 1931年 [[万宝山事件]]で朝鮮人の[[反中感情]]が高まり、朝鮮華僑の虐殺事件([[朝鮮排華事件]])が勃発する。
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{{Multiple image
|direction = vertical
|width =
|image1 = Syngman Rhee.jpg
|caption1 = [[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]将軍と[[李承晩]]
447 ⟶ 440行目:
*** [[2013年]] [[MIKTA]]加盟。
*** [[2016年]][[12月9日]] 国会で[[朴槿恵韓国大統領弾劾訴追|朴槿恵大統領に対する弾劾訴追議案]]が可決、[[黄教安]]が大統領職務を代行。
** [[文在寅]]政権…第十九代大統領(2017年 -
*** [[2018年]]2月 [[2018年平昌オリンピック|平昌五輪]]開催。
*** 2018年[[4月27日]] 北朝鮮の[[金正恩]][[朝鮮民主主義人民共和国国務委員会#国務委員会委員長|国務委員会委員長]]と[[2018年南北首脳会談|第三次南北首脳会談]]を実施<ref>{{Cite web
** [[尹錫悦]]政権…第二十代大統領(2022年 - 現在)
*** [[2023年]][[8月19日]] 日米韓首脳会談を実施。<ref>{{Cite web|和書|title=日米韓首脳会談 日本時間の19日未明から【各国のねらい解説】 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230818/k10014165971000.html |website=NHKニュース |date=2023-08-18 |access-date=2023-09-08 |last=日本放送協会}}</ref>
=== 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) ===
{{Main|朝鮮民主主義人民共和国の歴史}}
[[ファイル:Abductee families of North Korean abductions.jpg|thumb|[[瀋陽総領事館事件|日本総領事館脱北者駆け込み事件]]で日本総領事館に駆け込んだ少女と[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]で拉致された[[横田めぐみ]]さんの家族と会見する当時の[[ジョージ・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領]](2006年4月28日、[[ホワイトハウス]])]]
[[ファイル:Mansudae Grand Monument 08.JPG|thumb|[[平壌直轄市|平壌]]で[[万寿台創作社]]が制作した[[金日成]]と[[金正日]]の父子の立像]]
[[ファイル:2018 inter-Korean summit 01 (cropped).jpg|thumb|[[2018年南北首脳会談|第3回南北首脳会談]]に臨む韓国の[[文在寅]]大統領と北朝鮮の[[金正恩]]朝鮮労働党委員長(2018年4月27日)]]
* [[金日成]]体制([[1945年]] - [[1994年]])
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** [[1994年]][[7月8日]] {{仮リンク|金日成の死|en|Death and state funeral of Kim Il-sung|label=金日成死去}}、実子・長男の[[金正日]]への世襲による権力継承。
* [[金正日]]体制([[1994年]] - [[2011年]])
** [[2000年]] 韓国の[[金大中]]大統領との初めての[[南北首脳会談]]を実施。「[[6.15南北共同宣言]]」を発表。
** [[2002年]] [[日朝首脳会談]]、[[日朝平壌宣言]]
** [[2004年]][[12月9日]] 日本からの人道支援の残りの15万5,000トンが停止される。
** [[2005年]][[2月11日]] [[核兵器]]製造・保有を公式に認める。
** [[2006年]][[7月15日]] [[国際連合安全保障理事会]]が決議第1695号を採択。
491 ⟶ 486行目:
* [[金正恩]]体制([[2011年]] - 現在)
** [[2016年]]5月 祖父で初代最高指導者[[金日成]]体制下の[[1980年]]以来、36年ぶりの[[朝鮮労働党第7次大会|朝鮮労働党大会]](第7回)を開催。
** [[2018年]][[4月27日]] 金正恩が北朝鮮の最高指導者として史上初めて[[板門店]]の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]を超えて[[大韓民国|韓国]]を訪問し<ref>{{Cite web
https://www.asahi.com/articles/ASL4W5VB7L4WUHBI05L.html|title= 「完全非核化」目標、年内に終戦 南北首脳が板門店宣言 |publisher= [[朝日新聞]]|accessdate=2018-05-01}}</ref><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3172871 「朝鮮半島の非核化に尽力」、南北首脳が共同声明] AFP BB NEWS Japan 2018年4月27日</ref><ref>{{Cite news |date=2018-04-27 |url= https://www.huffingtonpost.jp/
** [[2018年]][[6月12日]] 金正恩が[[ドナルド・トランプ]]アメリカ合衆国大統領と、[[シンガポール]]にて[[2018年米朝首脳会談|米朝首脳会談]]を実施し、共同声明を発表する。アメリカの現職大統領と北朝鮮の最高指導者が直接対面し会談を行うのは史上初。
** [[2023年]]9月 [[ロシア]]との[[首脳会談]]を実施<ref>{{Cite web|和書|title=ロシアと北朝鮮 2回目の首脳会談へ “ロシア極東開催で調整” {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230907/k10014186161000.html |website=NHKニュース |date=2023-09-07 |access-date=2023-09-08 |last=日本放送協会}}</ref>
== 脚注 ==
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