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'''東亜経済調査局'''(とうあけいざいちょうさきょく)は、[[第二次世界大戦]]以前に存在していた[[南満洲鉄道株式会社|満鉄]]の調査機関の一つ。略称「東亜経調」
== 概
[[1908年]]に満鉄の調査機関の一つとして東京支社
== 沿革 ==
* [[1908年]]11月 東京支社内に設立<ref name="十年史">{{Cite book |和書 |title=南満洲鉄道株式会社十年史 |publisher=南満洲鉄道 |year=1919 |page=905}}</ref>。
* [[1929年]]7月 満鉄より分離独立、財団法人とした<ref name="第三次十年史">{{Cite book |和書 |title=南満洲鉄道株式会社第三次十年史 |publisher=龍渓書舎 |year=1976 |page=2429}}</ref>。
* [[1935年]] 従来の支那課に加えて南洋課を新設。
* [[1938年]] 附属研究所(通称、大川塾)を設置<ref name="南方文化c">{{Cite journal|和書|title=私説「満鉄東亜経済調査局」|journal=南方文化|issue=1986年11月号|publisher=天理南方文化研究会|pages=208-209}}</ref>。
* [[1939年]]8月 満鉄
* [[1943年]]1月 東京支社調査室を統合。5課4係9班により構成<ref name="南方文化d">{{Cite journal|和書|title=私説「満鉄東亜経済調査局」|journal=南方文化|issue=1986年11月号|publisher=天理南方文化研究会|pages=228-229}}</ref><ref name="第四次十年史">{{Cite book |和書 |title=南満洲鉄道株式会社第四次十年史 |publisher=龍渓書舎 |year=1986 |page=500}}</ref>。
== 歴史 ==
[[後藤新平]]による「[[生物学]]の原則」に基づき、経済及び慣習調査のための調査課、古代歴史研究のための満洲及朝鮮歴史地理調査部([[1908年]]-[[1914年]])と並び、東亜経済調査局は[[中村是公]]総裁時代に、「日本及会社ノ参考ト為ルヘキ世界的経済材料ヲ蒐集シ併セテ此等ノ事項ニ関スル各方面ノ諮問ニ応スルヲ目的」<ref name="十年史">{{Cite book |和書 |title=南満洲鉄道株式会社十年史 |publisher=南満洲鉄道 |year=1919 |page=905}}</ref>として、東京支社に設立された。
[[南満州鉄道株式会社|満鉄]]理事の[[岡松参太郎]]が会社の調査部門を司り、{{仮リンク|カール・チース|de|Karl Thiess}}、{{仮リンク|オットー・ウィードフェルド|de|Otto Wiedfeldt}}、{{仮リンク|マルティン・ベーレンド|de|Martin Behrend}}を招へいして、指導にあたらせた。日常業務は、[[ベルリン]]に約8年間留学した[[市川代治]]やヘルマン・バウムフェルドが、おもに担当した。<ref name="概況">{{Cite book |和書 |title=東亜経済調査局概況 |publisher=東亜経済調査局 |year=1921 |pages=4-9}}</ref>収集資料の整理マニュアル、『東亜経済調査局雑纂』というシリーズの、多様な分野のレポートが作成された<ref name="旧植民地関係機関">{{Cite book |和書 |title=旧植民地関係機関刊行物総合目録 南満州鉄道株式会社編 |publisher=アジア経済研究所 |year=1979}}</ref>。[[第一次世界大戦]]で[[ドイツ帝国]]と[[大日本帝国]]が敵対することになり、その時点でほとんどの外国人が帰国した。
=== [[松岡均平]]時代(1914年-1921年) ===
[[東京大学|東京帝国大学]]からドイツ留学していた間、東亜経済調査局設立準備に関わった松岡均平が、帰国後も引き続き関与することとなり、『世界製鉄業』([[1919年]])を編纂し、『経済資料』を創刊した([[1915年]])。この時期、[[伊藤武雄 (中国研究者)|伊藤武雄]]・[[嘉治隆一]]・[[岡上守道]]・[[波多野鼎]]ら[[新人会]]関係者、[[永雄策郎]]・[[大川周明]]・[[嶋野三郎]]といった、幅広い人材により構成されていた<ref name="概況">{{Cite book |和書 |title=東亜経済調査局概況 |publisher=東亜経済調査局 |year=1921 |pages=4-9}}</ref>。
=== [[永雄策郎]]・[[栗原広太]]時代(1921年-1929年) ===
松岡均平の[[三菱財閥|三菱]]転出後、[[経済雑誌社]]から転入した永雄策郎、[[宮内省]]に長く勤めた栗原広太が主事に就いた。大川周明『特許植民会社制度研究』(学位論文を[[1927年]]出版)や、嶋野三郎『露和辞典』([[1928年]])は、業務の一環としてこの時期に執筆された。「会員相互ノ連絡及便益ヲ計リ経済調査ノ発達ニ必要ナル事項ヲ攻究シ調査機関ノ効果ヲ増進セシムルヲ以テ目的トスル」<ref name="聯合会">{{Cite book |和書 |title=全国経済調査機関聯合会趣意規約細則会員名簿 |publisher=全国経済調査機関聯合会 |pages=3}}</ref>全国経済調査機関聯合会を、[[1920年]]10月に創立した。
=== 「大調査部」時代(1939年-1943年) ===
[[1939年]]大川周明と[[松岡洋右]]満鉄総裁との協議により、8月から東亜経調は満鉄に復帰
===
[[満鉄調査部事件]]をきっかけとする大調査部の再編・解体に伴って、東亜経調は日本
敗戦後旧蔵書のほとんどは[[アメリカ合衆国]]により接収され、[[アメリカ議会図書館]]の蔵書になった<ref name="成立史論">{{Cite book |和書 |title=現代アジア研究成立史論 |publisher=勁草書房 |year=1984 |pages=440-441}}</ref><ref name="図書館雑誌">{{Cite journal |和書 ||title=[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による日本の接収資料とその後 |journal=図書館雑誌 |issue=1980年8月号|publisher=[[日本図書館協会]]|pages=375-379}}</ref>。国内に残された旧蔵書は、[[国立国会図書館]]が購入した<ref name="第四次十年史">{{Cite book |和書 |title=南満洲鉄道株式会社第四次十年史 |publisher=龍渓書舎 |year=1986 |page=500}}</ref>。
(その後、[[安井謙]][[参議院]]議長の仲介により、[[アジア経済研究所]]の調査に基づき、日本国内に現存しないとみなされた原本のマイクロ撮影と、国立国会図書館での[[マイクロフィルム]]による所蔵が実現した<ref name="びぶろす">{{Cite journal |和書 ||title=国立国会図書館の満鉄資料 |journal=びぶろす |issue=1984年6月号|publisher=国立国会図書館|pages=135-139}}</ref>。)
▲=== 大川周明時代([[1921年]]-[[1938年]]) ===
* 経済資料([[1915年]]3月-[[1943年]]、[[関東大震災]]以後は不定期刊行の叢書。)
▲松岡に代わり局を主宰した大川は、[[山本条太郎]]満鉄総裁を説得し[[1929年]]に東亜経済調査局を財団法人として独立させ、満鉄からの拠出金からなる基金により運営した。理事長に就任した大川の影響力は強まり、対立した自由主義者は退局・異動を余儀なくされた。このころから東亜経調の業務は次第に東南アジア・西南アジア地域の調査へとシフトするようになった。それは新たに入局した古野清人・馬淵東一・法貴三郎・[[前嶋信次]]らによって担われ、成果は『南洋叢書』全5巻([[1937年]]-[[1939年]])、『南洋華僑叢書』([[1939年]])の刊行としてまとめられた。またこの時期、大川は南方アジアの地域で働く人材の育成を目的とした「付属研究所」を設立、語学・一般教養・日本精神を講じ敗戦までに6期生を送りだした。
▲大川と[[松岡洋右]]総裁との協議により、東亜経調は満鉄に復帰、統合された「大調査部」の中で西南アジア・オーストラリア・南洋の調査を専管する分局となった。これらの地域の事情を一般大衆に伝える啓蒙的な月刊誌として『新亜細亜』が創刊されたのはこの時期であり、坂本徳松ら編輯班が編集を担当した。東亜経調は大連の調査部が行っていた「支那抗戦力調査」などの綜合調査には直接関与しなかったが、太平洋戦争の勃発とともに外部機関からの委託研究が次第に増加、独自に進めていた南洋地域の基礎調査は次第に困難になっていった。
▲=== 末期([[1943年]]-[[1945年]]) ===
▲満鉄調査部事件をきっかけとする大調査部の再編・解体に伴って、東亜経調は日本・中国・満州を担当していた東京本社調査室と統合、第一調査課(農業・鉱工業・流通・物量の4班)・第二調査課(経済・法制・社会文化・統計の4班)・第三調査課(印度・西南亜細亜・欧米の3班)の3課に再編成された。しかしほとんど調査機能は失われ、戦災と疎開への対応に時間を追われるまま敗戦に至った。敗戦後、占領軍は東亜経調の蔵書のほとんどを接収した。
▲== 主要逐次刊行物 ==
▲*新亜細亜([[1939年]]8月-[[1945年]])
==
<references />
==
* Archiv-Katalog des ostasiatischen Wirtschaftsarchives =『記録分類目録』(東亜経済調査局、[[1914年]])
*[[原覚天]] 『現代アジア研究成立史論─満鉄調査部・東亜研究所・IPRの研究─』 勁草書房、[[1984年]]▼
* 『全国経済調査機関聯合会趣意規約細則会員名簿』(全国経済調査機関聯合会、[[1920年]]ごろ)
*中村孝志 「私説「満鉄東亜経済調査局」」『南方文化』(天理南方文化研究会)第13輯([[1986年]]11月)所収▼
* 『東亜経済調査局概況』(東亜経済調査局、[[1921年]])
* The Manchuria year book, 1931 =『英文満洲年鑑』(The East Asiatic Economic Investigation Bureau、[[1931年]])
* 『南満洲鉄道株式会社十年史』(南満洲鉄道、[[1919年]]、原書房、[[1974年]]複製)
* 『南満洲鉄道株式会社第三次十年史』(龍渓書舎、[[1976年]])
* 『旧植民地関係機関刊行物総合目録 南満州鉄道株式会社編』(アジア経済研究所、[[1979年]])
* 井村哲郎 「[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による日本の接収資料とその後」『図書館雑誌』([[日本図書館協会]])74巻8号([[1980年]]8月)
* 千代由利 「国立国会図書館の満鉄資料」『びぶろす』(国立国会図書館)35巻6号([[1984年]]6月)
* 満鉄会『南満洲鉄道株式会社第四次十年史』(龍渓書舎、[[1986年]])
{{戦前期日本のアジア調査・研究}}
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