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[[1839年]](天保10年)、佐賀に帰り、弘道館で[[考証学]]を、松尾塾で外科術を学ぶ。[[1842年]](天保13年)、佐野家の養女・駒子と結婚する。[[1846年]]([[弘化]]3年)、[[京都]]で広瀬元恭の時習堂に入門し、[[1848年]]([[嘉永]]元年)には[[大阪|大坂]]の[[緒方洪庵]]の[[適塾]]で学び、さらに[[紀伊国]]で[[華岡青洲]]が開いた春林軒塾に入門する。適塾では[[大村益次郎]]ら[[明治維新]]で活躍する多くの人材と知遇を得る。
=== 幕末動乱 ===
[[1849年]]([[嘉永]]2年)、[[江戸]]で[[伊東玄朴]]の象先堂塾に入門し、塾頭となる。江戸では[[戸塚静海]]にも学んでいる。この頃に勤皇運動に傾倒。藩の知るところとなり、急遽佐賀に戻るよう命じられている[[1851年]](嘉永4年)、[[長崎市|長崎]]に移り、家塾を開く。[[1853年]](嘉永6年)、佐賀に帰り、佐賀藩の精煉方頭人となり、藩主・[[鍋島直正]]から「栄寿左衛門」の名を授かる。佐賀藩の精煉方に[[田中久重]]親子や[[石黒寛次]]らを推薦する<ref>[https://www.sagabai.com/main/3770.html 日本赤十字社の創設者]</ref>。

[[1855年]]([[安政]]2年)[[6月]]に長崎の海軍予備伝習に参加する。同年8月に幕府が[[長崎海軍伝習所]]を開設し、佐賀藩から常民ら四十八名が第一期生として参加する。この頃に藩主・鍋島直正へ海軍創設の必要性を説き、自ら海軍所の責任者となる

[[1857年]](安政4年)、佐賀藩が[[オランダ]]から購入した飛雲丸の船将となり、翌[[1858年]](安政5年)、[[三重津海軍所]]の監督となる。[[1863年]]([[文久]]3年)、三重津海軍所で幕府注文の蒸気鑵(ボイラー)を製作する。[[1867年]]([[慶応]]3年)、[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万国博覧会]]に参加し、その万博会場で[[国際赤十字]]の組織と活動を見聞し、オランダに行き、[[日進 (スループ)|日進]]の建造を発注する。西欧諸国の軍事、産業、造船術などを視察して翌[[1868年]](明治元年)に帰国。
 
=== 明治 ===
[[1870年]]([[明治]]3年)[[3月]]~[[10月]]までの8か月間、[[兵部省 (明治時代)|兵部少丞]]に就任し、日本海軍の基礎創りに尽力する。しかし、[[増田明道]]ら他の海軍担当官との関係は良好とは言い難く、佐野の奮闘は空回りでしかなかった。罷免についても同僚の[[船越衛]]は同情している。[[1871年]](明治4年)、民部省灯明台掛を受け継いだ工部省において燈台頭に就任し、洋式[[燈台]]の建設指揮にあたる(同時に[[工部省|工部大丞]]にも就任)。[[1872年]](明治5年)、博覧会御用掛に就任し、日本の産業の近代化をめざすべく、同年3月に初の官設博覧会を[[湯島聖堂]]で開催する([[湯島聖堂博覧会]])。[[1873年]](明治6年)、ウィーン万国博覧会事務副総裁に就任して、[[ウィーン万国博覧会|ウィーン万博]]に派遣される。博覧会を通じて日本の近代化に貢献し、「博覧会男」の異名を得る。通訳は[[アレクサンダー・フォン・シーボルト]]が努めた。
[[ファイル:SanoTsunetami-hakuaisha-ceremony.jpg|200px|thumb|有栖川宮熾仁親王から博愛社設立の許可を受ける佐野常民]]
[[1875年]](明治8年)、元老院議官となる。[[1877年]](明治10年)2月に[[西南戦争]]が起こり、敵味方の区別なく戦場で負傷した将兵を看護する赤十字社の知識を元に、「博愛社設立請願書」を政府に提出するが不許可となり、5月に熊本で[[有栖川宮熾仁親王]]から博愛社設立の許可を得る。博愛社総長に[[小松宮彰仁親王|東伏見宮嘉彰親王]]が就任。
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[[ファイル:伯爵佐野常民之墓.jpg|200px|thumb|伯爵佐野常民之墓]]
[[1902年]](明治35年)、東京の自宅で死去、79歳。死に際して[[勲一等旭日桐花大綬章]]が贈られる。墓所は[[青山霊園|青山墓地]]。
[[File:Japanese Red Cross 75th Anniversary stamp 4sen.jpg|thumb|200px|right|1939年11月15日 日本赤十字社創立75周年記念切手]]
 
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*[[朝日恵子]]「佐野常民―近代国家のパイオニア」、『九州の蘭学-越境と交流』、303-310頁。<br> [[ヴォルフガング・ミヒェル]]・[[鳥井裕美子]]・[[川嶌眞人]] 共編、(京都:[[思文閣出版]]、2009年)。ISBN 978-4-7842-1410-5
*[[吉川龍子]]『日赤の創始者 佐野常民』[[吉川弘文館]]、2001年。ISBN 4-642-05518-5
 
== 関連作品 ==
; 小説
* [[高橋克彦]]『火城 幕末廻天の鬼才・佐野常民』(1992年5月 PHP研究所 / 1995年9月 PHP文庫 / 2001年11月 角川文庫 / 2007年12月 PHP研究所 / 2010年2月 文春文庫)
 
== 関連項目 ==