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{{Otheruses|音楽プロデューサーの'''酒井政利'''|本名が同音異字の俳優・コメディアン・ドラマー('''堺正俊''')|フランキー堺}}
{{ページ番号|date=2015-10}}
{{Infobox Musician
| Name = 酒井 政利
| Img = Masatoshi Sakai cropped 1 Masatoshi Sakai 202011.jpg
| Img =
| Img_capt = 文化功労者顕彰に際して<br />公表された肖像写真
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->150px
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = maker
| Birth_name =
| Alias = 酒井政利
| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = [[立教大学]][[文学部]]卒業<ref name="prof"/>
| Born = {{生年月日と年齢|1935|11|17|no}}<ref name="prof"/>
ドブ
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1935|11|17|2021|07|16}}
| Origin = {{JPN}} [[和歌山県]]<ref name="prof"/>
校長室
| Origin = 川
| Instrument = <!-- 個人のみ -->
45度
| Genre = [[J-POP]]
| Occupation = [[音楽プロデューサー|プロデューサー]]、[[メディア (媒体)|メディア]][[プロデューサー]]
| Years_active = [[1961年]] - [[2021年]]
| Label = [[日本コロムビア]]<br/>(1961年 - 1968年)<br/>[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]<ref group="注釈">1968年-1973年までは[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニーレコード]]名義。</ref><br/>(1968年-1990年)<br/>[[ソニー・ミュージックレコーズ|Sony Records]]<br/>(1991年-1994年)
| Production = 吉本新喜劇
| Associated_acts = [[島倉千代子]]<br />[[青山和子]]<br />[[南沙織]]<br />[[郷ひろみ]]<br />[[山口百恵]]<br/>[[松田聖子]]<br/>[[宮沢りえ]] ほか
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| Current_members = <!-- グループのみ -->
| Past_members = <!-- グループのみ -->
| Notable_instruments =
}}
'''酒井 政利'''(さかいよし まさとし、[[1935年]]([[昭和]]10年)[[11月17日]]<ref name="prof">http://www.sakaioffice1996.com/profile/</ref> - [[2021年]]([[令和]]3年)[[7月16日]]<ref name="bunshun20211009">{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/49123 |title=“山口百恵の育ての親”酒井政利プロデューサーが苦しんだ「出生の秘密」 あの“帝銀事件”犯人との数奇な縁とは?昭和の名プロデューサー・酒井政利の実像 |website=文春オンライン |date=2021-10-09 |access-date=2024-07-15 }}</ref>)は、[[日本]]の[[音楽プロデューサー]]<ref name="bunshun20211009"/>・メディアプロデューサー。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長<ref name="prof"/>。[[日本ストリートダンス協会]]非常勤理事<ref>[http://jsda.info/about/ 協会情報|ダンススタジオをお探しなら日本ストリートダンス協会]</ref>。1938年生まれとも書かれた<ref>httphttps://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00149853</ref>。
 
== 来歴 ==
[[和歌山県]][[有田市]]生まれ<ref name="prof"/>。父は[[建築設計事務所]]を営む<ref name="bunshun20211009"/>。母は専業主婦<ref name="bunshun20211009"/>。8人兄弟の末っ子である<ref name="bunshun20211009"/>。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだ<ref name="aera"/>。[[和歌山県立箕島高等学校]]、[[立教大学]][[文学部]]卒業<ref name="prof"/>。
 
[[和歌山県立箕島高等学校]]、[[立教大学]][[文学部]]卒業<ref name="prof"/>。大学卒業後映画製作を志し[[松竹]]に入社するもまもなく退社し、その後[[日本コロムビア]]、[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]の音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。プロデュースの原点となった[[南沙織]]をはじめ、[[フォーリーブス]]や[[キャンディーズ]]、[[山口百恵]]など、アイドル黄金時代と呼ばれたこの時期、300人あまりのアイドルや音楽グループを送り出した<ref>[httphttps://www.excite.co.jp/Newsnews/entertainment_garticle/20131204Shueishapn_20131204_23492/Shueishapn_20131204_23492.html 伝説のプロデューサー・酒井政利が語るアイドル史「日本のアイドル第一号は南沙織さんです」 ]</ref>。CBS・ソニーではポップスや歌謡曲を担当する企画制作2部を率い、社内でも稼ぎ頭として大きな発言力を持っていた。CBS・ソニーでは多忙を極める酒井の負荷を軽減し、なおかつ互いに競わせる目的で、[[1978年]]に酒井の部下であった若松宗雄が率いる企画制作6部を立ち上げたが、若松が発掘した[[松田聖子]]が社会的ブームになるほどのヒットとなる一方、同じ[[1980年]]に酒井が率いる企画制作2部デビューさせた[[浜田朱里]]や[[中山圭以子|中山圭子]]はヒットに恵まれず、酒井と若松の社内での力関係は次第に逆転していった
 
50歳を迎えた時、カウンセラー養成所に2年間通った<ref name="aera"/>。60歳で退職後酒井プロデュースオフィスを立ち上げた<ref name="aera">清野由美「プロデューサー  酒井政利(現代の肖像)」「[[アエラ]]」1998年4月13日号53ページ</ref>。プロデューサーとして担当した芸能人の売上累計は約3100億円にのぼると言われる<ref>[https://www.amazon.co.jp/dp/4788702592 Amazon.co.jp: プロデューサー―音楽シーンを駆け抜けて: 酒井 政利: 本]</ref>。
 
現在はメディアプロデューサーとして、映画・舞台・テレビ番組の企画やテレビコメンテーター、講演活動などの幅広い分野で活躍。その一方で心理カウンセラーとしての活動も行っている
 
2005年、[[文化庁長官表彰]]。2019年、2018年度和歌山県文化功労賞を受賞。2020年、[[文化功労者]]<ref>{{Cite web |和書|date=2020-11-03 |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2020/attach/1422025_00001.htm |title=令和2年度  文化功労者 |publisher=文部科学省 |accessdate=2020-11-09}}</ref>。
 
2021年7月16日午後7時5分、[[心不全]]のため、東京都内の病院で死去した<ref>{{Cite news2|title=音楽プロデューサー酒井政利さん死去  85歳  山口百恵さんら手掛け|url=https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/040/098000c|newspaper=[[毎日新聞]]|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2021-07-19|accessdate=2021-07-19}}</ref>。{{没年齢|1935|11|17|2021|07|16}}。  出禁❤富美子
 
== エピソード ==
[[郷ひろみ]]の「[[お嫁サンバ]]」作成にあたり、郷は「最初に曲のほうが出来上がってきて、いい曲だなと思ったが、その後に出来た詞が〈123バ 223バ〉で、意味が分からず、それはないだろうと思った」。しかし、プロデューサーの酒井が「この曲を明るく歌えるのは、あなたしかいない。この歌は間違いなく結婚式で歌われて後世に歌い継がれていくから」と説得してリリースした。
 
1979年10月1日にリリースされた[[久保田早紀]]の作詞・作曲・歌唱の「[[異邦人 -シルクロードのテーマ-|異邦人]]」は、当初「白い朝」というタイトルでゆったりとした感じの曲だったが、タイアップした[[三洋電機]]のCM映像が[[アフガニスタン]]で撮影されたことや、当時流行していた[[エーゲ海]]・[[地中海]]などの異国情緒など(それらの意識にも、酒井本人がプロデュースした[[ジュディ・オング]]の『エーゲ海のテーマ〜'''魅せられて'''』がある)が意識されて、歌詞・曲ともに[[中近東]]風なエスニック調の[[編曲|アレンジ]]が施され、最終的に酒井の判断で「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付けられた<ref name=showa40>『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。</ref>。
 
== 平沢貞通との関わり ==
[[帝銀事件]]で死刑判決を受けた[[平沢貞通]]が京都で画家として活動していた時代に酒井の母をモデルとしたことがあった<ref name="aera"/>。これをきっかけにして酒井は平沢の隠し子だとする報道がセンセーショナルになされた<ref name="aera"/>。1998年に酒井は「ばかばかしい話」だと否定した<ref name="aera"/>。
 
しかし酒井は、中学時代に近所の人から「お前は平沢の愛人の子だ」と言われたことや、高校時代に伯母から「マサちゃんは、帝銀事件の平沢貞通の坊ちゃんなんやてねえ」と言われ、実の母とされる女性の名や、住所を知らされたことなどを認め、「自殺を考えるほど悩んだ」と告白している<ref name="bunshun20211009"/>。
[[週刊文春]]2001年新年号{{要ページ番号|date=2015-10}}で酒井が語ったところによると、実母は平沢の絵のモデルになった経験があり、平沢も弁護士に対し事実である可能性を示唆する発言をしたとされるが、平沢には長期の拘禁などによる妄想症状もあって、真相は最後まで不明だったという。酒井は真相を求めて平沢との面会を希望したが、実現する事は無かった。主❤富美子
 
[[週刊文春]]2001年新年号{{要ページ番号|date=2015-10}}で酒井が語ったところによると、実母は平沢の絵のモデルになった経験があり、平沢も弁護士に対し事実である可能性を示唆する発言をしたとされるが、平沢には長期の拘禁などによる妄想症状もあって、真相は最後まで不明だったという。酒井は真相を求めて平沢との面会を希望したが、実現する事は無かった。主❤富美子
 
== 著書 ==
* {{Cite book|和書|title=プロデュース感覚の磨き方―演出、企画、交渉、創造の力の源はここにある!|author ='''酒井政利'''|origdate=1987-04-0110|publisher=[[日本実業出版社]]|isbn =978-4534012364|id={{NDLJP|11985696}}}}
* {{Cite book|和書|title=ビジネスマンのプロデュース超感覚|author ='''酒井政利'''|origdate=1992-11-01|publisher=[[実業之日本社]]|isbn =978-4408393902}}
* {{Cite book|和書|title=神話を築いたスターの素顔―百恵、郷、りえたちと歩んだ三十五年|author ='''酒井政利'''|origdate=1995-04-01|publisher=[[文藝春秋]]|isbn =978-4163506401}}
* {{Cite book|和書|title=ナルシズム・パワー|author ='''酒井政利'''|origdate=1997-06-01|publisher=[[実業之日本社]]|isbn =978-4408133331}}
* {{Cite book|和書|title=パラサイト|author ='''酒井政利'''|author2 =[[北島由記子]]|origdate=2000-11-01|publisher=[[エムウェーブ]]|isbn =978-4901219068}}
* {{Cite book|和書|title=アイドルの素顔―私が育てたスターたち|author ='''酒井政利'''|origdate=2001-02-01|publisher=[[河出書房新社]]|isbn =978-4309406237}}
* {{Cite book|和書|title=なぜ、母親はキレる少年を守れないのか。|author ='''酒井政利'''|author2 =[[北島由記子]]|origdate=2001-09-01|publisher=[[こだま出版]]|isbn =978-4906069316}}
* {{Cite book|和書|title=アイドル誕生―プロデュース感覚の磨き方|author ='''酒井政利'''|origdate=2001-07-01|publisher=[[河出書房新社]]|isbn =978-4309406329}}
* {{Cite book|和書|title=プロデューサー―音楽シーンを駆け抜けて|author ='''酒井政利'''|origdate=2002-04-01|publisher=[[時事通信社]]|isbn =978-4788702592}}
* {{Cite book|和書|title=コンプレックスをバッグに入れて|author ='''酒井政利'''|origdate=2002-11-01|publisher=[[工作舎]]|isbn =978-4875023685}}
 
<nowiki>== 関連書籍 ==</nowiki>
* ヒットソングを創った男たち~歌謡曲黄金時代の仕掛人」(2018年12月18日、濱口英樹 (著)、[[シンコーミュージック]])-  42~71ページに、「第二章  酒井政利」。 stone
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|2}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|230em}}
 
== 外部リンク ==
* [http://www.sakaioffice1996.com/ 酒井政利オフィシャルサイト]
* {{NHK人物録|D0009072650_00000}}
 
{{Normdaten}}
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:さかい まさとし}}
[[Category:日本の音楽プロデューサー]]
[[Category:メディアプロデューサー]]