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|関連=
}}
'''VHS'''(ブイ・エイチ・エス、Video Home System:ビデオ・ホーム・システム)は、[[日本ビクター]](現[[JVCケンウッド]])が[[1976年]](昭和51年)に開発した家庭用[[ビデオテープレコーダ|ビデオ]]規格で、同社の登録商標(日本第1399409号ほか){{efn|他社も、同じ商標を登録されている。}}である。
 
当初は記録方式を表現した'''Vertical Helical Scan'''(バーチカル・ヘリカル・スキャン)の略称だったが、後に'''Video Home System'''(ビデオ・ホーム・システム)の略称として再定義された。
 
== 概要 ==
VHSの特徴として、ビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。テープは幅が1/2インチの[[カセット]]タイプで、標準録画時間が2時間だった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけの[[カートリッジ]]タイプがあったり、テープ幅やカセットのサイズもさまざまだったり、と互換性のない規格が氾濫していた。
 
技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、DF480を利用したときの現在は240分が最長となった。また、規格の範囲を大きく逸脱しないかたちでの改良を続けており、高画質化技術のHQ(High Quality)や[[Hi-Fi]]オーディオ対応、ビデオカメラ規格の[[VHS-C]]、[[水平解像度]]400本以上の高画質機種[[S-VHS]]とそのビデオカメラ規格[[S-VHS-C]]、衛星放送などのPCMデジタルオーディオを劣化なく記録できるS-VHS DA(DigitalAudio)、アナログハイビジョン対応の[[W-VHS]]、[[デジタル放送]]対応の[[D-VHS]]など幅広く展開している。全ての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「'''ノーマルVHS'''」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。なお、上位規格であるデジタル記録の[[D-VHS]]では[[地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]・[[BSデジタル放送]]・[[CSデジタル放送]]などの無劣化記録が可能となっている。
 
[[ベータマックス|ベータ]]、[[8ミリビデオ|8ミリ]]、[[レーザーディスク|LD]]、[[VHD]]などさまざまなメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式として[[デファクトスタンダード]]となった。特に、[[DVD-Video]]の普及以前は単に「ビデオ」といえば通常はVHSのことを指すものであり、関連企業も商品説明等でVHSの意でビデオという単語を用いていた(「ビデオ版とDVD版の内容は同一です」という表記や、VHSデッキを指して「ビデオデッキ」と称するなど)。
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[[1956年]](昭和31年)に開発された[[アンペックス]]社の業務用[[2インチVTR]]は[[NTSC]]方式をそのまま録画可能であったが、巨大なシステムであった。ヘリカルスキャン技術は1955年(昭和30年)に東芝が基本特許を出願。1959年(昭和34年)に放送用1ヘッドヘリカルスキャン方式VTRを東芝が発表{{sfn|日経新聞|1978|p=159}}。回転2ヘッドヘリカルスキャンは同年に日本ビクターが開発している。それ以降、各社は比較的コンパクトな[[オープンリール]]式のVTRを発売、全てヘリカルスキャン方式であったが、各社バラバラで統一規格は制定されていなかった。
 
[[松下電器産業|松下電器]][[日本ビクター]][[ソニー]]の3社は家庭用VTRも見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格([[Uマチック]])に合意。発売したが高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途や教育機関、旅館ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。
 
[[家庭用VTR機器]]が本格的に普及する時代を狙い、ソニーが各社に規格統一を呼びかけ先行して開発・発売された[[ベータマックス]]が、[[U規格|Uマチック]]の小型化を目指して開発された経緯から録画時間の延長よりカセットの小型化を優先し、最長60分の録画時間でU規格と同等の操作性を確保すべく開発されたのに対し、ビクターは[[民生用]]途としての実用性を重視し、カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発。またメカ構造も[[U規格]]にとらわれずより量産化に適した構造を目指し、家庭用VTRというコンセプトを明確にして開発・発売された。
 
先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL・SL-6300)で、[[1975年]](昭和50年)[[4月16日]]に発表、同年[[5月10日]]に発売されている。
 
===規格統一の争い===
ソニーは、松下電器産業(現:[[パナソニック]])にベータ方式への参加を要請したが、松下の態度は不鮮明であった。
 
「VHSの父」と呼ばれる[[高野鎮雄|高野鎭雄]]が[[松下幸之助]]に直訴した、という経過が流布されたり、映画のストーリーで登場するが、史実に基づく経過は、松下電器は当初からVHS採用に動いていた。1975年当時、日本ビクター社長には、松野幸吉(元松下電器東京支社長)が就任していた。1975年8月、ビクターがVHSの試作機を完成させた情報が松下電器へもたらされ、同月、松下中央研究所の菅谷部長らがビクター横浜工場を訪問し、VHS試作機を見学した。[[NHK総合テレビ]]『[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]』の[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜の放送一覧#2000年|第2話]]<ref name="projext-X">2000年4月4日放送 『窓際族が世界規格を作った VHS・執念の逆転劇』。さらに、2021年6月1日 プロジェクトX 4Kリストア版として放送された。 </ref>では、1975年9月3日には[[松下幸之助]]がビクター横浜工場でVHS試作機を見学し、「ベータマックスは100点満点の製品だ、しかしこのVHSは150点だ」「ええもん造ってくれたな」と発言したと、試作機を覗き込む松下幸之助の写真つきで紹介されている。
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1976年4月3日、ビクター横浜工場で、松下電器は松下幸之助相談役と稲井副社長、菅谷部長、ソニーは盛田会長、岩間社長、大賀副社長、木原専務、ビクターは松野社長、徳光副社長、高野事業部長が一同に会し、ベータ、VHS、[[VX方式|VX]]を前にして初めて意見を交換した。VXは初めから問題にならず、VHSとベータとの長短が論じ合われた。佐藤正明著『映像メディアの世紀』によると、その後、松下幸之助相談役は「盛田さんがあまりにも熱心なので、もしかしたらベータマックスの方が良いのかと思って、ソニーの研究所も見せてもらったし、幸田の工場も見せてもらった。しかしわしの考えは変わらなかったな。」とも発言している。
 
1976年5月7日、ソニーの盛田会長は木原専務を伴って松下電器東京支社を訪れ、盛田だけが相談役室に通されて、松下相談役は「規格統一は何としてもせなあかん。そこでうちのビデオ事業部にベータマックスとVHSの双方かかる機械の開発を頼んでみたんやがダメやった。そこで盛田はんの言う通り、どこかの機械に統一するしか道はない。わしの見るところ、ベータマックスは百点や......わしの見るところVHSは百五十点や。仮に百二十点やったらビクターにベータを押し付けることもできるんやが......これだけ差がある以上どうにもならん。盛田はん、率直に言います。VHSの規格を採用してもらうという訳にはいかんやろうか」と発言した。「ご迷惑をおかけしました」盛田氏は返事をしない代わりに一礼して、相談役室を後にしたとされる。[[経済産業省|通商産業省]]が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、松下幸之助氏が、ソニーへVHS採用を働きかけたが、ソニーが拒否していた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは前述に挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSはギリギリ持ち帰れる重さで、購入者が自分で自宅に持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった<ref>[https://web.archive.org/web/20160531182523/http://news.mynavi.jp/news/2015/11/13/466/ さよならベータ!日本の黒物家電を変えたVHSとの「ビデオ戦争」の顛末]</ref><!-- --><ref>{{Cite web|和書
<!-- -->
<ref>{{cite web
| url = http://bizacademy.nikkei.co.jp/top-management/resume14/article.aspx?id=MMAC4i002030092015&page=2
| title = 日経Bizアカデミー 第23回 VHS対ベータ 規格統一思惑外れる 録音時間の短さもハンディ
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===ビデオデッキの発売===
[[ファイル:JVC-HR-3300U.jpg|thumb|JVC HR-3300U VIDSTAR HR-3300の米国向け機種。日本の機種とほぼ同一だが、ロゴに"VIDSTAR"の名称を使用し、"Victor"は使われなかった。]]
[[1976年]](昭和51年)[[10月31日]]、日本ビクターがVHS第1号[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]](品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円([[物品税]]込み)。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画[[磁気テープ|テープ]]も当初は120分が6000円となっていた。また、[[シャープ]]、[[三菱電機]]も当初は日本ビクターの第1号機を[[OEM]]で発売していた。翌[[1977年]](昭和52年)1)[[11日]]よりビクターが現在の新しい[[ロゴ]]の使用を開始したため、VHSの1号機であるHR-3300の最初期(1976年10月 - 12月)に生産された[[ロット管理|ロット]]は戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴ(「'''V<small>ICTOR</small>'''」ロゴ)をつけた唯一のデッキとなった。1977年1月生産・出荷分からは順次、「'''Victor'''」ロゴとなっていに変更された。
 
[[1977年]](昭和52年)には松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「ナショナル'''[[マックロード]]'''」を発売し、VHSビデオのヒットのきっかけ原動力にも繋がった。
 
長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため、[[1977年]](昭和52年)に[[アメリカ合衆国|米国]]市場向けの2倍モード(LP)が、日本国内向け機器にも[[1979年]](昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され、幅広い機種に搭載された。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後は5倍モードも開発され一部の機種に搭載された。
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当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドで[[モノラル]]録音するものだったが、その幅は[[コンパクトカセット]]より狭く、テープスピードは3/4だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、[[S/N比]]の劣化([[ヒスノイズ]]の増加)および周波数特性の劣化が顕著となる。なお[[ワウフラッター]]はビデオではテープ走行は同期の乱れとなるために厳格に管理されていた。上位機種では音声トラックを[[ステレオ]]化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべく[[ドルビーノイズリダクションシステム]](ドルビーB)、[[dbx]]などの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたものの周波数特性には対応できなかった。その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを現在、持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。さらに問題なのがノーマル音声トラックに2ヶ国語の洋画を録画した場合であり、日本語と外国語が同時に再生される。当然のことながら[[スピーカー]]の左右バランスを調整しても解決はしない。
 
===Hi-Fiデッキの普及など===
[[1983年]](昭和58年)1983年3月、谷井昭雄と高野鎮雄、RCAのジャック・ソーター副社長の3人の写真が、当時の世界最大の国際[[週刊誌]]『[[タイム (雑誌)|タイム]]』の表紙を飾った。
 
1983年4月、ソニーがステレオ[[Hi-Fi]]音声記録方式(ベータHi-Fi)を採用した「SL-HF77」を家庭用1/2インチビデオとしては世界で初めて発売した。ベータHi-Fiは従来ベータ機と輝度信号が4.4MHzから4.8MHzへ高域へのキャリアシフトも伴っており厳密な意味で互換性が失われたが、ベータHi-Fi録画されたテープを従来ベータ機で再生してもほとんど問題にならなかった。
 
ベータ陣営のHi-Fi化に対抗し、同1983年5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用し、ノーマルVHSと互換性のあるHi-Fiステレオオーディオ機能を追加した「NV-800」を発売。この機能はVHS Hi-Fiステレオ標準規格として採用された。松下の独自規格によるVHS Hi-Fi機「NV-800」はHi-Fi音声トラックの信号処理に[[dbx]]を使っていた。「NV-800」が採用したHi-Fi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHi-Fi方式をVHS規格化するにあたりdbx、[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビー]]社の[[ライセンス]]料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が開発され採用された。そのため「NV-800」で録画されたビデオカセットを、ビクター「HR-D725」以降発売された正式なVHS Hi-Fi規格ビデオデッキで再生すると、厳密には正式なVHS Hi-Fi規格との互換性が無いため、音声が多少歪む可能性がある。
 
1983年秋には、ビクターから初めて正式なVHS Hi-Fi規格に対応した「HR-D725」が発売されている。このD725などの機種は前述のノーマル音声方式での録画・再生も可能でドルビーBにも対応していた。[[ダイナミックレンジ]]は当初80dB以上、[[1986年]](昭和61年)以降の機種では[[コンパクトディスク|CD]]の音声のダイナミックレンジとほぼ同等の90dB以上に向上した。[[周波数特性]]は20 - 20,000&nbsp;Hz{{efn|ただし、一部の高価格帯の機種に関しては標準モード・3倍モードにかかわらず、実際の再生可聴周波数帯域が'''最高で22,000Hz'''([[DAT]]レコーダーの48kHz/16bitによる標準モードと同等)'''まで達していた'''ものも存在していた。}}と、こちらもCDの音声の周波数特性とほぼ同等である。
 
これにともない、ノンHi-Fiのステレオ機器は[[1980年代]]には生産終了した。ノンHi-Fiのステレオ音声に対応した最末期のモデルとしては1988年発売のHi-fiおよびS-VHS対応機『HR-S10000』(ビクター)などがあった。国内メーカーによるノンHi-Fiの[[モノラル]]VCRは単体機は[[1990年代]]後半に生産を終了{{要出典|date=2013年9月}}。[[テレビデオ]]はしばらくノンHi-Fi機の生産が続いたが、2000年代初頭には終了した。
 
[[1992年]]([[平成]]4年)に高野鎮雄が68歳で死去したとき、VHSビデオデッキの普及台数は3.7億台であった。
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[[2016年]](平成28年)、[[船井電機]](日本国内では後に「[[DXアンテナ|DX BROADTEC]]」ブランドとして展開)が7月末日をもってVHSビデオテープレコーダーの生産を終了<ref name="sankei20160726">{{Cite news |title=国内勢のVHSデッキ生産終了 最後の船井電機、時代に幕 |newspaper=産経新聞 |date=2016-07-26 |url=https://www.sankei.com/article/20160726-IXN63WSZCBKDFFWQW3L3SQA2BM/}}</ref><ref name="sankei20160817">{{Cite news |title=VHSのビデオデッキ、ついに生産終了…「続けて」とファンの声殺到、大切に撮りためた思い出ビデオはどうする? |newspaper=産経新聞 |date=2016-08-17 |url=https://www.sankei.com/article/20160817-ZBTJN2XZEROBDLKE4T36G6A6W4/}}</ref>。VHSビデオテープに関しては複数メーカーが引き続き生産・販売している。主な理由として、一般家庭での編集や再生、小売量販店などの防犯カメラに使われているケースが多く、そのような顧客のニーズに応えるためである。
 
[[2021年]](令和3年)、アットアイデアは[[2026年]](令和8年)を目処にVHSテープの非接触再生が可能なビデオデッキの開発・販売を目指していることを発表した<ref>{{cite news|title=今後5年をかけて新“VHSデッキ”を開発…どんな需要を想定しているのか開発企業に聞いた|url=https://www.fnn.jp/articles/-/222602|newspaper=FNNプライムオンライン|date=2021-08-11|accessdate=2021-08-14}}</ref>。
 
== ベータマックスとの規格争い ==
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== VHSの需要低下と終焉 ==
1976年からテレビなどの録画媒体として使用されるVHSであったが、[[21世紀2000年代]]に入ると[[DVD]]や[[ハードディスクレコーダ]]、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の普及、高精細テレビ放送や[[Blu-ray Disc]]の登場、多くの国での[[デジタルテレビ放送]]の開始といった「デジタル時代」「[[ハイビジョン]]時代」の中で、それに対応できないVHSカセットやVHS単体機は次第に売れなくなっていった{{efn|D-VHSではハイビジョン記録に対応したが、こちらも2008年までに全メーカーが生産を終了している。}}。デジタルレコーダーとの複合機も、過去のライブラリーをデジタル化することに重点が移り、テレビ番組の録画ができないタイプのものが増えた。
 
アナログ磁気テープはデジタルメディアに対して音・画質共に悪いうえに劣化が著しく、頭出しや巻き戻しも面倒で、再生装置も巨大になる。VHSの場合水平解像度が240本とアナログテレビ放送の330本より低い。画質面は、1987年に高画質版VHSである[[S-VHS]]、1999年にはデジタル録画対応VHSである[[D-VHS]]が発売されるもデッキが高価であり、同年に[[パイオニア]](ホームAV機器事業部。現在:[[オンキヨーホームエンタテクノロジ]]/[[イメントィアック]])が[[DVDレコーダー]]を発表したこともありそれほど普及しなかった。また、DVDの普及に一役買ったのが、かつてのライバル・ソニーの関連会社である[[ソニー・ピューラクティブエンタテインメント|(現・[[ソニー・ピューラクティブエンタテインメント]]の家庭用ビデオ[[ゲーム機]]である[[PlayStation 2]]であった。
 
こうした状況も重なり、[[日本ビクター]]は[[2007年]](平成19年)[[5月30日]]、経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの[[撤退]]・[[清算]]を発表した<ref>{{PDFlink|[http://www.jvc-victor.co.jp/company/ir/pdf/presen-070530.pdf 2007年度業績見直しについて]}} 日本ビクター 2007年5月30日</ref>。[[2008年]](平成20年)[[1月15日]]にS-VHS単体機を全機種生産終了したと発表し<ref>[http://www.jvc-victor.co.jp/dvd/info.html S-VHSビデオデッキ販売終了のご案内] 日本ビクター 2008年1月15日</ref>、同年[[10月27日]]にはVHS方式単体機の生産を終了した。
 
ビクターの撤退により、日本国内メーカーのVHSビデオ単体機の製造は[[船井電機]](以下、フナイ)のみとなったが、やがてフナイも完全撤退した<ref name="sankei20160726"/>。以降はDVD、HDDなどの複合機として展開されていたが、大幅に縮小された<ref>[http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=NN001Y370%2024102008&landing=Nex 日本ビクター、ビデオデッキの生産終了] [[NIKKEI NET]]・[[日経産業新聞]] 2008年10月27日<br />[httphttps://av.watch.impress.co.jp/docs/20081027/victor.htm ビクター、単体VHSビデオデッキの生産を終了 -DVD/VHS複合機などを継続展開] [[Impress Watch|AV Watch]] 2008年10月27日</ref>。
 
各社はテレビの完全デジタル化を考慮し、販売の主力をHDD併用の[[Blu-ray Disc|ブルーレイ]][[BDレコーダー|レコーダー]]に移したことで、次第に商品ラインナップは縮小し、これにあわせ録画用ビデオテープから撤退する事業者も相次いだことで、現在はほぼ市場から消滅している。[[S-VHS]]用テープは既に販売終了となっており、2014年12月末で日立マクセル(現在:[[マクセル]])も生産終了。2015年2月には[[TDK]](←[[イメーション]]〈現在:[[グラスブリッジ・エンタープライゼス]]〉のTDK <small>Life on Record</small>ブランド)も生産終了となり、2015年6月には[[デッドストック|録画用テープの在庫]]切れが目立ってきた。
 
[[2010年代]]に入っても、VHS一体型の[[DVDレコーダー]]ないし[[BDレコーダー]]が製造されていたが、各社とも[[2011年]]末までに生産完了となった。2011年末までVHS一体型のDVDレコーダーを発売していたのは、フナイと当時の子会社[[DXアンテナ]]以外では[[パナソニック]]の[[DIGA]]「DMR-XP25V」(パナソニック自社生産)と[[東芝]]「D-VDR9K」(フナイのOEM)であった。[[2012年]]2月10日、パナソニックが「VHSデッキの日本国内向け生産を2011年限りで完全終了した」旨を公式発表した<ref>{{cite news|title=VHS録再機の国内向け生産終了 パナソニック|url=httphttps://www.nikkei.com/article/DGXNASDD100BX_Q2A210C1TJ2000/|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2012-02-10|accessdate=2014-01-14}}</ref>。
 
その後も[[ビデオ判定]]など一部で使われていたが、[[2012年]][[5月19日]]には[[横浜スタジアム]]で開催された[[横浜DeNAベイスターズ]]対[[千葉ロッテマリーンズ]]では、[[アレックス・ラミレス]]の[[本塁打]]性の飛球の判定に家庭用VHSデッキが使用され、映像では本塁打であることがからなかったために[[ファウル]]と判定されたケースがあり物議を醸した<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/20/kiji/K20120520003289570.html|title=テレビは16型、ビデオは家庭用 友寄塁審「確認できないので判定通り」|date=2012-05-20|accessdate=2012-05-20|newspaper=スポーツニッポン}}</ref>。
 
2016年4月時点で新品として流通していたVHSデッキ(録画再生機・再生専用機)は以下の通り。
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;RVP-100(再生専用VHSプレーヤー)
:[[2013年]]12月中旬に[[ドウシシャ]]([[山水電気|SANSUIブランド]])から発売された。
:4ヘッドHi-Fi音声対応で[[DRC|デジタルトラッキング]]を搭載した「再生専用」のVHS機であり、家庭に眠るVHS資産のDVD化やBD化、データ化に寄与する目的で商品化された<ref>[httphttps://prw.kyodonews.jp/prwfile/release/M101005/201312036724/_prw_OR1fl_k3578QjQ.pdf RVP-100の公式発表リリースPDF]</ref>。
 
全機種がフナイのOEM。2016年7月末には部品の調達が困難となったため、全機種生産終了となった<ref>[httphttps://www.nikkei.com/article/DGXLZO04817850T10C16A7TI1000/ VHSビデオ機生産に幕 国内勢最後の船井電機、7月末で] 日本経済新聞 2016年7月14日</ref><ref name="sankei20160726"/><ref name="sankei20160817"/>。
 
== 規格一覧 ==
[[ファイル:VHS_cassette_tape_12.JPG|thumb|VHSカセット内側のテープ構造]]
[[File:VHS videocassette - back.jpg|thumb|VHSカセットの裏側]]
* 記録方式:[[ヘリカルスキャン方式|ヘリカルスキャンアジマス方式]]
* 記録ヘッド数:2
* ヘッドドラム径:62mm
* ヘッドドラム回転数
**[[NTSC]]:29:{{val|p=約|29.97&nbsp;|u=Hz}}{{efn|正確には30/1.001Hz}}({{val|p=|1800[[rpm (単位)|ul=rpm]]}}
**[[PAL#PAL-M|PAL-M]]:30 Hz({{val|1800|u=rpm}})
**[[PAL]] / [[SECAM]]:25&nbsp;Hz(1500rpm)
**[[PAL]] / [[SECAM]]:{{val|25|u=Hz}}({{val|1500|u=rpm}})
* カセットテープサイズ: 188×104×25mm
* テープ幅:12.65mm
170行目:
* 音声トラック
** ノーマル1トラック(モノラル音声)
** ノーマル2トラック(ステレオ音声。[[1978年]](昭和53年)の[[音声多重放送]]開始に対応するために追加された。[[ヒスノイズ]]が増加したため、対策として[[ドルビーノイズリダクションシステム]]Bタイプを搭載した。なお、{{要出典範囲|ノーマル2トラックへの録音に|date=2015年5月}}対応する製品は[[1987年]](昭和62年)・日本ビクターのHR-S10000以降生産されていない{{efn|{{要出典範囲|録音に対応する|date=2015年5月}}民生用機種の生産は終了したが、再生のみ対応する機種や、いわゆる業務用機種で対応した製品は、その後も生産されている。}})
** Hi-Fi2トラック([[1983年]](昭和58年)に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた)
**S-VHS DA(DigitalAudio・ [[パルス符号変調#種類|リニアPCM]])過去には[[日本ビクター]]製の[[1990年]](平成2年)発売の「HR-Z1」、パナソニック製「NV-DX1」、日立製作所製「VT-PCM1」、三菱電機製「HV-V3000」に対応する外付式DAプロセッサ「CX-P3000」など、国内のメーカーから対応する製品が発売された。[[衛星放送]]の[[エアチェック]][[ファン]]などから[[DAT]]と同等の高音質と高く評価されたが、[[バブル景気|1台あたり30万円 - 40万円台の高価格]]が災いし、わずか1世代で生産が終了した。
**CDやHi-Fi規格もない[[1980年代]]前半、VHSカセットを用いた高音質・非圧縮PCMデジタルオーディオデッキ[[テクニクス]]「SV-P100」が60万円。日立製作所[[Lo-D]]「PCM-V300」が498,000円と高額ではあるが発売されオーディオマニア層を中心に愛好されていた。1986年(昭和61年)に東芝より「A-900PCM」が248,000円で発売され[[グッドデザイン賞]]を受賞している。<ref>{{citeCite press release |和書 |url=https://www.g-mark.org/award/describe/12610 |title= ビデオテープレコーダー [A-900PCM] | 受賞対象一覧 | Good Design Award | publisher = 公益財団法人日本デザイン振興会|language=日本語 | accessdate = 2019-09-29 }}</ref>
* 信号方式
** 映像信号:[[周波数変調]](FM)シンクチップ:3.4&nbsp; MHz/白ピーク:4.4&nbsp; MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式)
** 映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:5.4&nbsp; MHz/白ピーク:7.0&nbsp; MHz:クロマ信号:低域変換方式(S-VHS方式)
** 音声信号:2チャンネル長手方向記録(ノーマル音声トラックの場合)
 
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=== 家庭用オーディオ ===
『PCM「PCMプロセッサー』(」(ソニーSONY PCM-501ESなど)を使い、音楽CD等の[[デジタル音声]]信号を[[インピーダンス|75Ω]]のコンポジットビデオ信号に変換し、PCMオーディオレコーダー(デジタルオーディオレコーダー)として活用することができた。記録時間は通常のVHSの長さと同じで三倍モードにも対応した(ただし、後発の5倍モードへの対応に関しては不明)。
 
=== プロオーディオユース ===
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== エピソード ==
* VHSカセットから派生されたものとして、PVC(Premium[[PVC]](Premium Video Cassette)がある。プレミアムボックスという開閉できる透明な蓋がカセットの背ラベル部分に付いている。ここには[[セルビデオ]]の特典物の小物(模型やキーホルダーなど、重量40[[グラム|g]]まで)を収納することができる。ジャケットの背ラベルにも穴がくり抜かれていて、ボックス内が少し見えるようになっている。ボックスの開閉に支障となる物、その他同梱に不適当な物(粉類、水、油、磁気性のあるもの、溶けやすいもの、膨張するもの、液漏れしやすいもの、食品や菓子類、電池、壊れやすいもの)は収納できない。
* [[1990年]](平成2年)に[[任天堂]]が発売した家庭用ゲーム機「[[スーパーファミコン]]」は、そのゲームソフトのパッケージ寸法がVHSテープと全く同じであった。この時点ではすでに多くの一般家庭にVHSが普及しており、VHSのビデオテープ収納棚(ビデオラック)においても安価なものが出回っていたため、ゲームカセットの保管場所としてVHSのビデオラックが好まれた{{要出典|date=2020年9月}}。
* 1980年代 - 1990年代にかけて、映画や音楽ビデオテープの[[ダビング]]サービスが商売として横行していたが、現在は[[著作権]]の問題からそれらのダビングを{{要出典範囲|政府が法律で禁止|date=2019年11月}}している。
* 1990年代後半にDVDが発売された際、VHSをそのままDVDにしている作品が多かった{{要出典|date=2020年9月}}。
* [[ハロー!プロジェクト]]の最筆頭グループである[[モーニング娘。]]は2000年から2003年頃まではVHSとDVDを同時リリースしていた。
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== 関連映像 ==
* 映画[[陽はまた昇る (2002年の映画)|陽はまた昇る]](2002年)
* ドキュメンタリー映画[[VHSテープを巻き戻せ!]](2013年、米国、原題:Rewind This!)
* NHK [[プロジェクトX〜挑戦者たち〜|プロジェクトX]] - 『:「窓際族が世界規格を作った〜VHS・執念の逆転劇〜
* フジテレビ [[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]] - 『:「関ヶ原ビデオ合戦史 VHS対ベータ、そして8ミリへ
* V/H/Sシリーズ - オムニバス・ホラー映画のシリーズ
** [[V/H/S シンドローム]] (2012年)
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== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |editor=日本経済新聞社 |title=激突!ソニー対松下 : ビデオに賭ける総力戦 |editor=日本経済新聞社 |publisher=日本経済新聞社 |date=1978-06-0129 |asin=B000J8O2RA |id={{全国書誌番号|78023168}} {{NDLJP|asin=B000J8O2RA 12050815}}|ref={{sfnref|日経新聞|1978}}}}
* {{Cite book |和書 |author=ジェームズ・ラードナー |title=ファースト・フォワード―アメリカを変えてしまったVTR |translator=西岡幸一 |publisher=パーソナルメディア |date=1988-08-01 |isbn=9784893620392}}
* {{Cite book |和書 |author=中川靖造 |title=ドキュメント日本の磁気記録開発―オーディオとビデオに賭けた男たち |publisher=ダイヤモンド社 |date=1984-01-01 |isbn=9784478380055}}
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* [[日本の地上デジタルテレビ放送]]
* [[CMスキップ]]
* [[レンタルビデオ]]
}}