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{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff"
|colspan="2" style="text-align: center;"|[[File:HMS Penelope 1942 IWM FL 4822.jpg|300px|]]<br/><small>1942年の「ペネロピ(HMS Penelope)」</small>
|-
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
|-
|発注
|
|-
|起工
|[[1934年]][[5月30日]]
|-
|進水
|[[1935年]][[10月15日]]
|-
|就役
|[[1936年]][[11月13日]]
|-
|退役
|
|-
|その後
|[[1944年]][[2月18日]]に戦没
|-
|除籍
|1945年
|-
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|-
| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]
|基準 5,270 [[トン]]<br />満載 6,665 トン
|-
|全長
|154.22 m
|-
|全幅
|15.54 m
|-
|吃水
|4.3 m
|-
|機関
|パーソンズ型ギアードタービン、
4軸推進、64,000 shp
|-
|最大速
| 32.25 [[ノット]]
|-
|乗員
|500 名
|-
|兵装
|50口径15.2cm連装砲 3基<br />10.2cm連装高角砲 4基<br />4連装ポムポム砲 2基<br />20mm単装機関砲 6門<br />0.5インチ4連装機関銃 2基<br />21インチ3連装[[魚雷発射管]] 2基
|}
'''ペネロピ''' ('''HMS Penelope, 97''') は[[イギリス海軍]]の[[アリシューザ級軽巡洋艦 (2代)|アリシューザ級軽巡洋艦]]。1944年2月18日にドイツ潜水艦「U410」よって撃沈された。
==艦歴==
「ペネロピ」は[[北アイルランド]]、[[ベルファスト]]の[[ハーランド・アンド・ウルフ]]社で建造された。1934年5月30日に起工。1935年10月15日に進水。1936年11月13日に竣工。1939年9月2日に[[マルタ]]に到着し、第3巡洋艦戦隊所属で[[第二次世界大戦]]開戦を迎えた。
=== 本国艦隊 ===
「ペネロピ」は[[本国艦隊]]の第2巡洋艦戦隊に移され、1940年1月11日に[[ポーツマス (
修理完了後、1941年8月17日に[[スカパ・フロー]]で「ペネロピ」は第2巡洋艦戦隊に復帰した。9月9日、「ペネロピ」は戦艦「[[デューク・オブ・ヨーク (戦艦)|デューク・オブ・ヨーク]]」を護衛してグリーノックを離れ、ローサイスへ向かった。9月後半は敵船阻止のため[[アイスランド]]、[[フェロー諸島]]間の哨戒していた。1941年10月6日、「ペネロピ」は戦艦「[[キング・ジョージ5世 (戦艦)|キング・ジョージ5世]]」と空母「[[ヴィクトリアス (空母)|ヴィクトリアス]]」を護衛してアイスランドのハヴァルフィヨルドを出撃し、ノルウェーのグロムフィヨルドとウェストフィヨルドの奥の間の敵船舶への攻撃にむかった。この作戦、E.J.作戦は成功し、1941年10月10日に部隊はスカパ・フローへ帰還した。
===K部隊===
10月
11月8日、K部隊は今度は敵船団の攻撃に出撃した<ref name="ohara143"/>。その船団は7隻の船からなるベータ船団で6隻の駆逐艦によって護衛されていた<ref name="ohara143"/>。K部隊は11月9日にこの船団を攻撃し、船団の船すべてと護衛の駆逐艦「[[フルミーネ (駆逐艦)|フルミーネ]]」を沈めた([[デュースブルク船団の戦い]])<ref name="ohara144b">''Struggle for the Middle Sea'', pp.144-147</ref>。11月23日夜、K部隊は再び敵船団の攻撃に出撃した<ref name="ohara148">''Struggle for the Middle Sea'', p.148</ref>。このときイタリアは複数の船舶を単独または2隻の船団で送り出しており、K部隊はその中でも重要な船団を攻撃するよう指示されていた<ref name="ohara148"/>。それは2隻のドイツ船「Maritza」と「Procida」からなっており、イタリア水雷艇「[[ルポ (水雷艇)|ルポ]]」と「[[カシオペア (水雷艇)|カシオペア]]」によって護衛されていた。K部隊は24日に目標の船団を捕捉し、護衛の水雷艇を追い払った後船団の船を2隻とも沈めた<ref name="grove64b">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', pp.64-65</ref>。戦闘後、K部隊は25日朝にマルタに戻った<ref name="grove65">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', p.65</ref>。11月29日にはB部隊(軽巡洋艦「[[エイジャックス (軽巡洋艦)|エイジャックス]]」、「[[ネプチューン (軽巡洋艦)|ネプチューン]]」、駆逐艦「[[キンバリー (駆逐艦)|キンバリー]]」、「[[キングストン (駆逐艦)|キングストン]]」)がアレクサンドリアからマルタに到着した<ref name="grove65">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', p.65</ref>。11月30日、4隻の巡洋艦と「ランス」を除く3隻の駆逐艦は敵船団の攻撃に出撃した<ref name="grove65"/>。偵察機から駆逐艦に護衛された船の情報が入ると、部隊を率いるローリングス<!--Rawlings-->少将はK部隊(ペネロピ、オーロラ、ライヴリー)をそこへ向かわせた<ref name="ohara150b">''Struggle for the Middle Sea'', pp.150-151</ref>。12月1日未明、K部隊はイタリアの武装商戦「アドリアティコ (Adriatico)」を発見<ref name="grove67">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', p.67</ref>。「アドリアティコ」は「オーロラ」と「ライヴリー」によって沈められた。マルタへ戻る途中でK部隊は駆逐艦に護衛されたタンカーの情報を受け取り、その攻撃に向かった<ref name="grove67b">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', pp.67-68</ref>。そして、イタリア駆逐艦「[[アルヴィセ・ダ・モスト (駆逐艦)|アルヴィセ・ダ・モスト]]」とすでに航空攻撃で大損害を受けていたタンカー「<!--Iridio -->Mantovani」を沈めた<ref name="grove68">''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', p.68</ref>。
12月13日からイタリアは補給物資を積んだ船団を北アフリカへ送る[[M41作戦]]を開始した。それを攻撃しようと、12月13日にアレクサンドリアから艦隊が出撃し、マルタのB部隊とK部隊も14日から15日の夜に出撃するよう命令が下った<ref name="medi218">''The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941'', p.218</ref>。だが、敵が引き返したため出撃は取りやめとなった<ref name="medi218"/>。12月15日に補給物資を積んだ「ブレコンシャー」がアレクサンドリアからマルタへ向け出発し、護衛のための艦隊も出撃した。マルタからもK部隊などが出撃した<ref name="ohara156">''Struggle for the Middle Sea'', p.156</ref>。アレクサンドリアからの部隊とK部隊は12月17日に合流した<ref name="ohara157">''Struggle for the Middle Sea'', p.157</ref>。このときイタリアも中止されたM41作戦にかわる[[M42作戦]]を実行中であり、船団護衛のため出撃中であったイタリア艦隊とイギリス艦隊との間で[[第1次シルテ湾海戦]]が発生した。海戦後、K部隊は「ブレコンシャー」を護衛して12月18日にマルタに戻ったが、北アフリカへ向かったイタリア船団のうち[[トリポリ]]へ向かった3隻は掃海作業が終わるまで港外で待機していたため、これを攻撃するためその日のうちに「ペネロピ」は軽巡洋艦「[[オーロラ (軽巡洋艦・2代)|オーロラ]]」、「[[ネプチューン (軽巡洋艦)|ネプチューン]]」、駆逐艦「[[カンダハー (駆逐艦)|カンダハー]]」、「ランス」、「ライヴリー」、「[[ハヴォック (駆逐艦)|ハヴォック]]」ともにマルタから出撃した<ref name="ohara159">''Struggle for the Middle Sea'', p.159</ref><ref name="medi223">''The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941'', p.223</ref>。12月19日3時にトリポリ沖に到着したが、そこで「オーロラ」、「ネプチューン」、「ペネロピ」、「カンダハー」が触雷し、「ネプチューン」と「カンダハー」は沈没した<ref name="ohara159"/>。
「ペネロピ」の損害は大きくはなく、マルタに戻って修理を受け1942年1月はじめには戦列に復帰した。1月5日、「ペネロピ」はK部隊とマルタを離れ特務船「グレンガイル」を護衛して[[アレクサンドリア]]へ向かい(ME9作戦)、27日に補給艦「ブレコンシャー」を護衛して帰投した。
1942年2月13日、「ペネロピ」は6隻の駆逐艦と共に、「ブレコンシャー」など4隻の船からなるME10船団を護衛してマルタを出港した([[ME5作戦]])。2月14日にアレクサンドリアから来た部隊に船団を引き渡し、代わりにマルタへ向かうMW9船団の護衛を引き継いだ。しかし、この時までにMW9船団は3隻中2隻が損傷または沈没し1隻となってしまっていた。さらにその1隻も空襲で失われた。2月15日、駆逐艦「ランス」、「[[リージョン (駆逐艦・2代)|リージョン]]」と共にマルタに帰還した。3月23日、さらなるマルタ島への補給船団、[[MG1作戦]]のためマルタを出撃した。この船団は水上と空からの激しい敵の攻撃を受け、被弾した「ブレコンシャー」はペネロピによって曳航され、[[マルサシロク]]港に無事到着した。
3月26日にマルタが空襲を受けた時に「ペネロピ」は至近弾で損傷してドック入りした。4月8日、[[ジブラルタル]]に向け出港、9日には繰り返し空襲を受けた。4月10日、ジブラルタルに到着したが至近弾によりさらに被害が生じていた。
損傷は広範囲にわたっており、ジブラルタルでの応急修理後本国での3から4ヶ月の修理が必要であった。「ペネロピ」は修理のため[[アメリカ合衆国]]に送られることになり、1942年5月10日にジブラルタルを出発。[[バミューダ諸島]]経由で[[ニューヨーク]]の海軍工廠に19日に到着した。9月まで修理がおこなわれ、9月15日に[[ヴァージニア州]][[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]に到着し、バミューダ諸島経由でイギリスの[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]に1942年10月1日に戻った。
===西地中海===
「ペネロピ」は12月2日にスカパ・フローに到着し、1943年1月の中頃まで本国海域にいた。17日、「ペネロピ」はクライド川を発ち、ジブラルタルへ向かった。ジブラルタルには22日に到着した。「ペネロピ」は第12巡洋艦戦隊所属で北アフリカ上陸作戦([[トーチ作戦]])に続く作戦中西地中海艦隊と行動した。
1943年6月1日、「ペネロピ」と駆逐艦「パラディン」、
1943年7月10日、軽巡洋艦「オーロラ」、2隻の駆逐艦と「ペネロピ」は[[シチリア島]]上陸作戦、[[ハスキー作戦]]で[[カターニア]]への陽動攻撃をおこなった。その後[[タオルミーナ]]へ移動し鉄道の駅を砲撃した。その後も8月までシチリア島での戦いの間、砲撃や掃討をおこなった。
===Q部隊===
1943年9月9日、「ペネロピ」はイタリアの[[サレルノ]]上陸作戦、[[アヴァランチ作戦]]のためQ部隊の一員となり作戦に参加した。「ペネロピ」は9月26日に軽巡洋艦「オーロラ」とサレルノの戦闘地域を離れていた。10月はじめ[[ドデカネス諸島]]の[[コス島]]攻撃の可能性を考えて[[レバント]]に移された。10月7日、軽巡洋艦「[[シリアス (軽巡洋艦)|シリアス]]」などと上陸用舟艇6隻、給兵艦1隻、武装トロール船1隻をStampalia沖で沈めた。しかし、爆撃により損傷したためアレクサンドリアへ戻った。
1943年11月19日、「ペネロピ」は[[ハイファ]]へ移動した。12月終わりごろ「ペネロピ」は[[ストーンウォール作戦]]のためジブラルタルへの移動を命じられた。この作戦は連合軍の封鎖を突破してフランスへ向かう、物資を積んだドイツ船の阻止である。12月27日作戦部隊はドイツ船「アルステルフェル」を沈めた。12月30日、「ペネロピ」はジブラルタルへ戻った。
1944年1月22日、イタリアの[[アンツィオ]]上陸作戦である[[アンツィオの戦い|シングル作戦]]に参加。
1944年2月18日、アンツィオから[[ナポリ]]へ向かう途中、北緯40度55分東経13度25分でドイツ潜水艦「[[U410 (潜水艦)|U410]]の攻撃を受けた。魚雷は1本目が後部の機関室に、2本目がボイラー室に命中して「ペネロピ」は撃沈された。艦長を含め415名が戦死し、生存者は206名だった。
==
[[1943年]]に刊行された[[セシル・スコット・フォレスター]]の[[海洋冒険小説]]『[[巡洋艦アルテミス]]』([[:en:The Ship (novel)]])の冒頭では、「英国海軍軍艦<ペネローペ号>乗組みの全将兵各位に、深甚なる敬意を表して、本書を捧ぐ」と述べられている。これは、同作がMG1作戦におけるペネロピの戦いをモデルにした物であるためであり、日本版([[パシフィカ (出版社)|パシフィカ社]]、[[1979年]])の表紙に描かれた軽巡洋艦「アルテミス」の姿も、ペネロピと同じアリシューザ級軽巡洋艦の物となっている。
== 関連項目 ==
* [[第二次世界大戦中のイギリス海軍の喪失艦一覧]]
* [[ペニー・モーダント]] - ペネロピに因んで命名された。
==脚注==
{{Reflist}}
==参考文献==
*Vincent P. O'Hara, ''Struggle for the Middle Sea'', Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
*Eric Grove, ''Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two'', Naval Institute Press, 1993, ISBN 1-55750-758-9
*''The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941'', Frank Cass Publishers, 2002, ISBN 0-7146-5205-9
*Peter C. Smith, ''Fighting Flotilla: RN Laforey Class Destroyers in WW2'', Pen & Sword, 2010, ISBN 978-1-84884-273-1
==外部リンク==
* [http://www.naval-history.net/WW2CampaignsRNMed2.htm British Navy in the Mediterranean, including Malta Convoys, Part 2 of 4, 1941-42]
* [https://webcitation.org/66kq6FAdT?url=http://www.world-war.co.uk/index.php3 HMS Penelope - WW2 Cruisers]
{{アリシューザ級軽巡洋艦 (2代)}}
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[[category:アリシューザ級軽巡洋艦 (2代)]]
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