Sayan Puangkham-shutterstock
勤務校の所属学部では、毎年「優秀卒論・卒制発表会」という行事がある。各ゼミから優れた卒論、卒業制作が一点推薦され、選ばれた学生が教員らの前でプレゼンテーションをおこなう。
卒制は映像作品が中心で、プロ顔負けの動画も珍しくない。なかでも、2023年度の推薦作品のうち「泣く」という行為から自分自身と向き合った約6分間の短編映画が印象的だった。
監督、主演、ナレーション、編集すべてを一人でこなし、プライベートな姿をこれでもかと曝け出すさまに圧倒された。
余韻が消えないまま、私は作者のもとに駆け寄り、「映像作品も卒論とは別の魅力があって良いですよね」と興奮気味に伝えた。すると彼女はこう言った。
「たしかに、同じメッセージを伝えようとしても、どうしても文章って映像よりも "上から目線"になっちゃいますもんね」。
2001年生まれ、春から社会人になる彼女の言葉に触れ、まっさきに想起したのが、この『アステイオン』の原稿だった。
そもそも今回の依頼は、本誌「創刊当時の議論を再検討し、『アステイオン』を含む知的ジャーナリズムの今後の役割について考える」、「1986年当時の雰囲気を味わいながら、38年を回顧し、論壇のこれからを検討してほしい」というものだ。
1989年(平成元年)生まれの私にとって、1986年は「歴史」の一部であり、もちろん「当時の雰囲気」など知らない。
不勉強を承知で言うが、依頼を受けるまで『アステイオン』の存在も知らなかった(1984年に創刊された岩波書店の雑誌『へるめす』は手に取っているが)。
それに「知的ジャーナリズム」と「論壇(誌)」はイコールなのだろうか? モヤモヤしているうちに、秋が過ぎ、気づけば作業の手が止まったまま新年を迎えた。
そんな折、2024年1月から宮藤官九郎オリジナル脚本の金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系、以下『ふてほど』)がはじまった。
"意識低い系タイムスリップコメディ"を掲げる本作は、ひょんなことから令和の世にタイムスリップした「昭和のダメおやじ」こと小川市郎が、「不適切」発言の数々で現代社会をかき回す物語だ(次第に明らかになるが、物語には阪神・淡路大震災というテーマが横たわる)。
vol.100
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